トランシルヴァニアにいるみんなへ届きますように! 珠玖 加奈子
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ブダペストである女性に会った。名前はマルギット。住まいのお向かいに住む73歳の女性。初めて出会った日、
バジリコの鉢植えを垣根ごしに差し出してくれた。彼女の広い庭は、秘密の花園。さまざまな花が咲き、小鳥が
遊びに来る、ハリネズミの親子が住む庭。アンズ、桃、プラム、たくさんの木の実がなり、たくさんの人々が
マルギットに会いにくる。
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引っ越して来たばかりの、右も左も分からない私にたくさん、たくさん、ハンガリー語で
話しかけてくれた。言葉はわからないのに、なぜか言っていることは、すべてわかる。
言葉がわからないのに、いつも、一緒に大笑いした。
その庭の垣根に開いた穴をくぐって、マルギットの住まいへ通う。
ハンガリー料理を教えてくれた。ハンガリー刺繍を教えてくれた。庭の花を摘んで
玄関の前 に置いてくれた。ノブには手作りのお菓子がかけてあった。市場へ連れて行ってくれた。
町のコンサートへ連れて行ってくれた。生まれ故郷の町へ連れて行ってくれた。
菩提樹の花を一緒に摘んだ。
マーチャーシュ教会のモーツアルトのレクイエムに連れて行ってくれた。
ハイドンのミサに連れて行ってくれた。
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毎日、一緒に過ごした。私の日本からの友人がブダペストに来ると、まるで自分のお客のごとく、お料理、お菓子を作ってくれた。そして、2年半後私に、命は永遠でないことを教えた。
ブダペストに来て1年経ったころより、リスト音楽院のコバーチ教授に 出会った。
師の生徒たちのレベルの高さに驚き慄いた。18歳の彼女達どんどん、国際 コンクールで優勝していく。
Mr.コバーチは、何も教えない。 私が教わったのは、ただ、カナコ!ふう〜!っと吹きなさい。時には、
フルートをはずして、ふう〜!としてみなさい。これだけ。しかし後にこの ことが、どんなに私の上達につながったことか。
ある日、かなり、練習を 積んだ曲を見ていただいたとき、さぞかし、褒められると期待した。もちろん、
カナコ、素晴らしい! よく吹けている!しかし、ジェームズ・ゴールウエイは もっと、うまく吹いているぞ!
もう一度、やってみなさい、、、。
そして、ある日、 カナコ、あなたは、何のためにフルートを吹いているのか?と尋ねられた。私は、人々を感動させるため、 と答えた。師は、言った。いや、私たちがフルートを吹くのは、神と人を結びつけるためです、、、。
この時、私は、素晴らしい師に出会ったと思った。フルートがますます好きになった。 限りなく温かく、
生徒が自ら成長することを、見守り続ける指導がここにあった。
私51歳。
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マルギットのミサがマーチャーシュ教会で行われた。やっと、区切りがついた。 それまで、2週間、
泣きながらフルートを吹いた。神父さんが、ハンガリー語で 何が何だかわからないいが、
マルギットは、神のもとへ行かれたと、 おっしゃっているのがわかった。優しい面持ちの神父さんに
救われた。 5歳のときに母を亡くしたマルギットは、ついにお母さんのもとで甘えている。
こう思うことで、私は自分の悲しみを解決させることにした。
そして、 マルギットと一緒に過ごしたであろう時間をフルートを吹くことで埋めた。
日本の昔の言い伝えに、笛の音は亡くなった人々までも届く、、と、、、、。
私は、昔からトランシルヴァニアという土地に興味があった。ドラキュラや
フランケンシュタイン。何故か、私は、死んだ人は、みんなトランシルヴァニアに 行くと信じている。小春が亡くなった時も、いつか、トランシルヴァニアに行けば 会えると信じていた。しかし、トランシルヴァニアが昔ハンガリーだったことは まるで知らなかった。トランシルヴァニアに400年の魔女に会いに行くのが
昔からの私の夢だった。そして、今は、小春、マルギット、うちに遊びにきた 魔女が化けた猫、ツィマに会いに。
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徹底的にフルートを吹いた。1日、9時間。全く人に会わず、家に立てこもった。
タコができるまで、フルートを吹いた。いろんな人のCDを聞いた。 ブレス、姿勢、音、
ビブラート、フレーズ、ことごとく研究した。自分の音を徹底的に聞いた。53歳。
心臓が爆発しそうなのを、ふっきって、スイス、大好きなジェームズ・ゴールウエイの講習会に行った。 そこには、私が40年かけても出来なかった、ゴールウエイの音を、軽々出す若者たちでいっぱいだった。
あまりのショックに、終止符を打つことにした。 決めた。ゴールウエイのフルートでなくていい、私の心を吹くことに。
すると、これまで、私に逆らってばかりいた、あばれんぼうのフルートが だんだん、私の心を語ってくれ始めた。だんだん、だんだん フルートが私の体と一体化してくる、、。
何が悪かったか、、、わかった、、、。
54歳。
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ハンガリーに来てからの夢だった、私がいつかここを離れる時、マルギットに 私の音を
CDかテープに入れて、それをお別れのプレゼントにしようと。
しかし、マルギットが先にお別れしていってしまった。順番が逆になった。
しかし、その夢を今、実現することにした。
マルギット、その名は、私たちの良く知っている、白い花マーガレット。
ハンガリー語でマルギット。
花をこよなく愛した彼女。私は決めた。 私の心を音にしてマルギットに送ることを。
その思いを彼女の秘密の 花園に埋めよう。
そして、その名を“ドナウに咲く白い花”と名づけた。
小春、マルギット、ツイマ!トランシルヴァニアにいるみんなへ 届きますように!
珠玖加奈子フルート奮闘記
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